雪中松柏 愈青々

徒然なる山の備忘録 

山の楽しさを知ってもらうということ

大学卒業後、数年に渡って某大WV部のコーチを請け負ってきた。

WV部では、縦走、沢登り、藪漕ぎ、山スキー、岩登り、トレランなどの山岳活動や、自転車ツーリング、ラフティング、里歩きなど、幅広いアウトドア活動を行っている。

活動の幅の広さは魅力ではあるが、反面手を広げ過ぎて活動が散逸的になるという問題もある。
この辺のバランスをどう取るかが難しいのだが、WV部は元々山岳部とは異なる姿勢を持って山に臨もうとした諸先輩方が発足したという背景もあり、前提として活動の中心には登山を据えている。

WV的な登山(簡潔に言うと、チャンピオンシップよりもレクリエーションシップを尊重)を実践した上で、それ以外のアウトドア活動にも手を伸ばすというのが本来的な順序であるが、ボートや自転車など山以外の活動にハマって、あまり山をやらなくなるという逆転現象もよく起こる。

さらに頭を抱えたくなるのは、登山は嫌いだけどそれ以外の活動は好きだから続けている(仲間との関係性だけで成り立っている場合もある)というもので、本来登山の楽しさと純粋に向き合おうとした創部者の方々の思いを考えると、皮肉めいたものを感じざるを得ない。

山が嫌ならやめればいい、というのが単純明快な答えではあるのだが、コーチとして少なくとも本来的な山の楽しさを知ってから判断して欲しいとは思う。

解決のアプローチとして思いつくのは以下の通り。

①楽しさ>辛さとなる為の準備と努力
②登山をやる理由の熟考

 

①は下界での体力トレーニングや、基本的な登山技術の習得といった事項の実施。体力や技術がないと、辛さが先行して楽しめる余地は少ない。
まあ、この辺は登山を行う組織であれば、当たり前の様に取り組んでいる内容であるので割愛する。

ポイントは②で、これは個々人によって答えが違うので難しい。

そもそも大学生は、競技スポーツ的なバックグラウンドを持って入部したり、管理された状態を潜在的に望んでいたりして、ともすれば監督コーチや先輩の顔色を伺いながら、何事も怒られないようにやる事が重要という価値観が支配的になったりする。

これは上意下達を基本とする旧来の山岳部的な慣習でもあり、多少のネガティブな面に目を瞑れば、組織的な登山においては合理的に機能していた。
また、高度経済成長期においては人材輩出的な意味でも貢献しており、管理された組織の中で活躍できる人材の育成にも繋がっていた。

ただし、上の人間に怒られるかどうかという判断基準に強く支配されるということは、ある種の依存状態であるとも言える。自発的に登山の楽しみを見出してもらうという意味では、あまり望ましい状態とは言えないだろう。少なくとも、積極的に山の楽しさを見出そうとしたWV部においては、そういった組織体制に甘んじて欲しくないという思いがある。

できればリーダー層だけでなく、メンバー全員が自分の頭で考えて楽しさや意義を見いだして欲しい。
また、昨今では社会でもイレギュラーに強い人材が求められる傾向にあるので、管理された組織の中でのみ機能するメンタリティーにはなって欲しくない。

自分の頭で考える様になると、最初は意義的なものに拘り過ぎて逆効果かもしれないが、考えることが行動を変えるという側面もあるので、主体的な行動を積み重ねて行く中で、新たに見えてくるものもあるだろう。
登山の意義を否定することは簡単だが、それは人生の意義を否定するのがそう難しくないのと似ているので、まずは自分なりの理由が一つ見つかるだけでも十分である。


また、バリエーション的な登山は、規定ルートにしばられず創造的な活動を行える楽しみや、失敗したら事故るという一定のリスクを抱えた中で生の充足を得る喜びなど、更なる楽しみを与えてくれる。

登山の楽しさは、景色の美しさを楽しむという世界の奥にも大きく広がっているが、自己責任の原則が完全に成り立たない学生においては、バリエーション要素の強い活動を手放しに薦めることはできないので、積極的に手引きをしつつも注視してブレーキを踏ませなければいけない。

落としどころがどの辺にあるのか見極めて、学生が登山の楽しさの真髄に少しでも近づける様に頭を捻るのが、コーチの努めでもあるのだろう。