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雪中松柏 愈青々

徒然なる山の備忘録 

山岳会運営について所感②

山岳会を敬遠する理由として、「人間関係」がしばしば上げられる。この一年間はこの問題に悩まされることになったので、山岳会の嫌な部分を語ることになるが、前エントリの補足として記録しておこうと思う。

まず、山岳会をざっくり分けると、強い発言力を持つカリスマ代表(古参)のいる会と、定期的にリーダーが入れ替わるフラットな会の二つとなり、完全に分けられる訳ではないが、どちらかに振れていることは多い。

カリスマ代表のいる会は、その代表の価値観が自分と合うかどうかが重要で、志向が同じであればかなり居心地はよいだろう。そういった会は、会にそぐわない行動をする人はすぐにやめてもらうし、仲間として受け入れたいと思った人はしっかり面倒をみてくれる。価値観の合う者同士で、良い山行も沢山できるだろう。但し、クローズドな組織に馴染める人は必ずしも多いとは言えない。

一方、定期的にリーダーが入れ替わるフラットな会は、どういった会なのか捉えるのが難しく、その時にアクティブなメンバーと志向が合うかどうかが重要だったりする。しかし、会の制限は比較的緩く、色々な人を受け入れてくれる懐の深さもあるので、自分から積極的に動いて仲間を作れるのであれば、多様な価値観に触れられるという良さはある。

昨今はSNSなどで人間関係を維持するコストも低くなっているので、こういった山岳会をホームにして、会員との山行を基本としつつも、たまに会員外と山に行くような人もいる。運営側からするとフリーライド気質の人は困るのだが、会に相応の貢献をしてくれているのであれば、ある種合理的な形であろう。

自分が運営に関与していたのは後者の組織なのだが、こういったタイプの組織は運営が難しい。
価値観がしっかり統一されていないので、会員の山行を会が管理するか(⇔)自己責任とするか、新人教育に力を入れるか(⇔)個々の積極性に任すかなど、運営の根幹部分ですら意見が食い違ったりする。

運営としては会内の空気を読んでベストと思われる方針を進めて行くのだが、相反するベクトルの人がそれぞれ意見を言ってくるので、基本的に何をやっても反対意見は出てくる。面倒なのでいっそ最低限のことしかやらないというのも最適解になったりするが、そのしわ寄せは会内のモラル悪化や事故の増加という形でツケとして現れてくる。

また、組織に迷惑をかける人へのペナルティが課せられにくいという問題もある。
簡単に類型化してみると、自分に依存してくれる子分を求める親分肌の人、自身の山行の為の障害は徹底的に排除しようとする人、自信過剰で言う事を聞かない新人など。
どれも気持ちとして分からなくはないが、他の人に迷惑をかけるケースでは折り合いを付けようとするのが社会性というものである。

しかし何か気に食わないことがあった場合には、運営=邪魔者として大声で怒鳴りつけてみたり、裏で陰口をいったりする人が一定数いて、こういった人達とやりとりをしていると心底消耗する。発言力の強い代表がいる会ならさっさと退会してもらうところだが、そういった強い態度が取れないために、声の大きい我儘な人が残り続け、組織の為に腐心した人は嫌気がさしてやめて行くという構造が出来上がる。

この一年はこの問題で悩まされたが、何とか一つの解決を見た。(と同時にかなり消耗もしたが…)
そして、自浄作用のない組織は社会性を欠いた人達に潰されていくのであろうこともよく分かった。

一方で管理された組織の中では、真にチャレンジングな登山はできないという意見もある。突き抜けた活動をしたいと思っている人にとって、もはや山岳会という枠組みは窮屈という感覚も理解できなくはない。
しかし、最低限の責務を果たさない人や、実績のない新人がそれを主張しても説得力がない。問題のすり替えに気付いていないのか、気付いているけど意図的にやっているのか分からないことも多々ある。

いずれにしろ、この様な組織内のいざこざが続くと、「人間関係」を理由に組織を離れたくなるのが心情である。


では、どうすれば魅力のある会になるのだろうか。
組織内不和をもたらす行為はしっかり抑え込むというのが分かりやすい対応だが、それはただマイナスをゼロにするだけ。
大事なのは、会に所属するメリットを大きくすることである。

メリットは個々人によって様々なものがあり、多様なものの組み合わせではあるが、代表的なものは「登山者としての成長」や「楽しい人間関係」などであろう。
登山の価値観が多用した昨今、ヒマラヤの様な共通した目標は作り辛いので、具体的な活動内容で全ての人に魅力を感じさせるのは難しい。であれば、好ましい人間関係を維持する仕組みを作ることが、運営に求められている役割なのだろう。
今年度はこの役割を「会報」に求めた。


山岳会の会報というと、昔は○○会版登山大系とも言うべき記録集であった。しかし山岳会が下火になり、HPやブログでの情報発信が広まると同時に、徐々に廃れてきた。
実際、入会希望者はHPを見て判断することが多いし、山に行く直前にも各会のHP記録を参考にすることが多い。HPに載せている記録を会報に改めて掲載してもナンセンスである。

一時期は会報不要論なども出ていたが、上記の様な事態を経て、会報は記録集ではなく、会のコミュニティ誌として活用すべきであるという意見が新たに出てきた。
会報作成は一定の負担はかかるが、人間関係を円滑にして会の魅力を高める為には必要なコストであるという考え方である。


こうして会報リニューアル版が刊行され始めたわけだが、冊子(PDF版)を手にすることによる仲間意識や絆の確認というのは、案外馬鹿にできないものだなというのが率直な感想。コミュニティ誌と説明したが、勿論山行記録も載せており、記録性の高いもの以外にも、会の盛り上げに寄与するもの(活動の魅力、個々の成長、独自の感性などの記載に重点)は積極的に掲載する様にしている。(HP記録は簡易報告のみで差別化)

こういった取り組みが効果的に機能して行くのかどうか、観察していくのは個人的に楽しい。やはり、何だかんだ言って運営は好きなのかもしれない。